スタイリスト山本康一郎のインスタグラム
山本康一郎というスタイリストは一体何者なんだろう。
抜群の洞察力から生まれるファッションページ。独特の感性から生まれる言葉。ねたましいほどのセンス。
インスピレーション源となっている日常と偶然をインスタグラムの写真とともに探る。
目次
山本康一郎の物と時間のつきあいかた
ibought編集部(以下i) 康一郎さんの触手ってどこから生えているんですか? それがどんな人やモノ、どんなコトに反応しているのかを聞きにきました。
康一郎(以下康) それがわかんないから取材を受けたんだけどね。例えば古着に詳しい人がいるとする。デザイナーとか。古着、ワークウェア、ミリタリーウェアに詳しかったり、いろんなものがあるじゃん。詳しい人たちがデザインをする場合、知識っていうのはすごく有効でしょ。でも自分の場合は、古くから東京の様子を知ってるんだよね。デザイナーが古着のことに詳しいように、町のことを知ってるというか。ずっと東京で暮らしているから、なくなっちゃうものとかもすぐわかるんだろうね。自分にしか感じない違和感ってものがあるわけ。そんな違和感にものすごく興味があるんだろうね。いいなと思うものには、同時に違和感を持つ。だから扉に〟違和感〝って書いてあると、すぐ開けちゃう。でも、そこにはなるほどなっていう考え方であったり、なりゆきがあったりする。その扉を開けるのには、普通勇気がいったり、戸惑いがあったりするかもしれないけど、自分は素直に行っちゃう。〟いきなりのなりゆき〝を求めちゃうんだよね。
i 怖さを感じないんですね。
康 あんまり恐れない。踏み込んで、理屈なしで考えずに扉を開けちゃうね。
i 物選びに関しても同じ感覚ですか?
康 おかしく聞こえてしまうかもしれないけど、本も雑誌もすべてのページに目を通すってよりも、さっと開いたときに、今求めることが書いてあるって思っている。積んである本を見て、この本なんだっけなとか、気になる本棚から一冊抜いて、パッと開くと大体なんかの仕事で探してるようなことがそこにあるんだよね。
i でも、ないときは?
康 なければもう一回開く。そしたら絶対あるから。写真を見て感じる言葉とか、地名とか。この場所に撮影で行け!って言ってるんだろうなとか。たとえばさ、なんか花の名前言ってみてよ。
i ……ハイビスカス。
康 派手だね。
i いや、午前中の打ち合わせでクライアントがハイビスカスのシャツを着ていたので、ぱっと思いつきました。
康 まぁいいや。それで花言葉とか調べると……。ハイビスカスは、「新しい恋」「繊細な美」だって。
i あら(笑)。
康 こうして転がしていく。
i 偶然を絶対的に信頼されているんですね。
康 ずうずうしいぐらいね。
i 昔からですか?
康 昔は適当だったんだけど、今は確信犯的にやってるかな。
i その偶然性は、康一郎さんの私物を見ていても感じます。スペックというよりも情緒的な物の選び方をされているなと。
康 どういうこと?
i たとえば誰かが手作りしてくれた物だったり、友人がカスタマイズしてくれた物だったり……。
康 情緒的っていうのは?
i そうですね、僕の場合は、親父が昔着ていたポロシャツに似ているなとか思い出がある物だったり、自分が生まれ育った場所で作られたものとかに惹かれてしまったりします。例えば、カシミアっていう素材を使った服よりも、コットンでも個人的な思い入れのあるほうに引き寄せられる気がします。
康 それはあるかもね。どうしても自分との関わりを感じるものに、転がっていくよね。
i でもこれってなんか新しい買い物の仕方なのかなって思うんですね。
康 最終的な理由はそうなるだろうね。物を買うときって。いや、最初もそうかな。でも人間ってそれしかないとも思うけど、どうなの?
i どうでしょうね。トレンドだったり、ブランドだったりで、表層的な部分で買い物を楽しんでる人はたくさんいると思います。むしろそっちがメジャーだと思います。
康 そっか。
i 衝動買いをするときってあるんですか?
康 あるよ。でも元はとる。
i 元っていうのはどういうことなんですか?
康 若いとき、拘置所に入れられたときとか、暇さえあれば刑務官の制服のちょっとした着方の違いを観察していたしね。
i iboughtって〝相棒〟って意味もかけてるんですけど、康一郎さんにとって〝相棒〟って呼べる物はなんでしょう?
康 〝無駄な時間〟かな。
i 人生に無駄な時間はないってことですか?
康 それとはまた違うんだけど。だって、本当に無駄だと思ってるからね。反省する無駄な時間、反省だらけの無駄な時間、自分が無駄だと思っていた時間に教わったこと、気づかされたことに救われることが結構あるんだよ。それがあるから、無駄だと思っても、あえてそこに時間をかけてみることを贅沢にしているね。
i 先ほどお話した〝違和感〟の扉を開けて反省することもあるんですか?
康 そこには自信満々かな。
仕事と私事のキワを生きている
i インスタグラムを初めてちょうど一年ぐらいになりますね。
康 そうだね。いろんな人に見てもらうために、仮想だけど見る人のことを考えるじゃん。そういう人に対して、写真は読み物なんだから、って考えがあって。
i 見るものではないんですね。
康 ちがうね。写真によっては、ワンワードのものもあるし、ちょっと長い文章だったりとか、感覚で自分のなかにある。いろんな人が写真をそれぞれの感覚で読み取ればいい。だから結構面白いなと思っていて。ハッシュタグは補足。「とは言っても」、「とはいえ」的なことをハッシュタグで書いたり、文章で書いたりする。そんなことを楽しんでもらいたくて、面白がってるね。
i どの写真を見ても、康一郎さんがいかに偶然を見逃していないことが伝わってきます。
康 文章にしちゃうとかっこよくなっちゃうけど、いま目の前に起きてることに詳しいだろうね。それは若いときからそう思っていた。目の前にあることを読み取る力みたいなのは何となくあるのかな。なんか自分を変えようと思って新しいことをしているわけでもないし、新しい世代のことを知ろうってわけでもない。いろいろな人たちは、「新しいことやっている」とか思ってるかもしれないんだけど、自分のなかでは、変わらないためにやってる新しいことなんだなって。インスタグラムも今をどう感じるかっていうツールじゃん。自分がいないところの様子は撮れないわけだから。だから、#Repostとか#Regramとかなんかなんだよね。
i こうしてインスタグラムの写真を見ていても、共通するものが思いつきません。
康 分類できないのが好きなんだよね。それってオリジナルがあるってことだし、違和感の度合いが強ければ強いほど、「これは、どこのカテゴリーに入るんだろう」って悩んでしまう。それがあるから、どんどんその物のこと、その人のことを知りたくなる。そうすると、新しい扉を開けちゃうんだよね。
山本康一郎
東京生まれ。19歳からフリーエディターとしてキャリアをスタート。
雑誌や広告、CMなどでスタイリングを手掛けるほか、
クリエイティブディレクターとしても活躍する。