UNDERCOVERに魅せられるファッショニスタ、綾小路翔
孤高のヤンクロックバンド、氣志團の團長を務める綾小路翔。ファッションへの造詣が深く、多くのファッショニスタたちから一目を置かれる存在だ。
UNDERCOVER(アンダーカバー)やNEIGHBORHOOD(ネイバーフッド)、DENIM BY VANQUISH&FRAGMENT(デニムバイヴァンキッシュ&フラグメント)など、彼のお気に入りアイテムたちから人となりを紐解いていく。
目次
SPECIAL INTERVIEW!! 綾小路 翔の洋服と音楽への関わり方
今の綾小路 翔を構成する洋服がわかたっところで、そのルーツや服との向き合い方、さらには音楽との関係性までを紐解く特別談話を決行!
氣志團としてデビューして今年で13年目、いろんな経験を重ねてきて、こだわるポイントが少しずつ変わって来たのを感じています。
今回、展示会でオーダーしたアイテムを見ても、黒が占める比重が減っているのは、その気持ちの現れなのかもしれない。
やっぱりリーゼントを中心に考えると、必然的に黒い服を選ぶことになるんです。
そうして今まで人生の98%を氣志團に捧げてきたのだけれど、そろそろ仕事しかない人生から離れて、少しくらいはプライベートの時間を自分に与えてみるのもいいかなって、ふと思ったんですよね。
それが最もわかりやすく現れているのがヴァンキッシュでオーダーしたアイテム。
リーゼントをおろして、世を忍ぶ仮の姿になった時、こんな爽やかなアイテムを着て代々木公園に出掛けてみたい、と(笑)。
洋服だけでなく、バンドに対する気持ちにも変化が出てきています。
デビュー当時、“氣志團=ヤンキー”って言われるのが実はすごく嫌だったんですよ。
ただの粗野なヤンキーバンドじゃない、もっと奥行きがあるんだってことを言いたくて仕方なかった。
その思いを伝えるために、いろんなことにチャレンジして、小さいことにまでこだわり抜いてやってきたけれど、伝わらないことも多々あって。
それでも細部にこそ神様は宿るんだって思いで、妥協せずにここまでやってきたんです。
そうやっているうちに、自分たちが本当にやりたいことは、アピールするもんじゃないって境地に辿り着きまして。
世の中の人からバカだ、変だ、コテコテだって言われることも受け入れられるようになったんですよね。
むしろ、みんなが入ってきやすい場所を作っていこうという風に思えるようになったというか。
もちろん変わらない部分の方が大きいし、こだわる部分は徹底的にこだわる姿勢は変わらない。
基本的には中学生の頃に影響を受けたもので、今日まで暮らしているみたいなところはあるんですけどね(笑)。
実際、ファッションやカルチャーにどっぷり浸かったのは中学生の頃だけど、ファッションに興味を持ったのはもう少し早くて小学校高学年なんです。
当時、母親の趣味でシャツとショートパンツにハイソックスを合わせるお坊ちゃん風の格好や、古着のオーバーオールなんかを着させられていたんだけど、それがすごく嫌で。
今見るとカワイイと思うんですけどね。
それで、小学校5年生の時、お年玉で洋服を買いに行ったんです。
その時のお手本は、雑誌「明星」に載っていた光GENJIの赤坂晃くんの私服!
赤坂くんはあんまり男の子っぽくない中性的なスタイルをしていて、それが好きだったんです。
赤いコーデュロイのシャツとブラックジーンズに、ベレー帽からちょこっとだけ前髪を出してダテメガネを掛け、
レザーっぽいスニーカーとリュックを合わせるというスタイルに憧れて、木更津のショッピングセンターで似たようなものを揃えました。
その格好をした写真は、今見るとなかなかクレイジーですけどね(笑)。
中学に入ると、ヤンキー文化とパンクへの興味が一気に押し寄せてきました。
僕の通っていた中学は学ランに対するオシャレがすごくあって、刺しゅうを入れたり、極端に短くしたり太くするのはダサいとされていたんです。
ちょっとしたサイジングや素材を気にしてオーダーメイドで作るのがよしとされていたので、自分でオカダヤに生地を買いに行って、学ランを仕立てたりしていました。
今、衣装を作ることが好きなのは、この頃の影響が大きいかもしれません。
その一方で、LAUGHINʼNOSEのPONさんとCOBRAのYOSU-KOさんのファッションにも衝撃を受けました。
すごいトラディショナルなものにオリジナルを挟み込むバランスが、ぶっ飛んでいて。
その後、この2人がユニットとしてやっていたCOW COWのファッションは、パンクやアーミーものにカジュアルなアイテムを混ぜるのがすごく上手くて、とにかく真似していました。
それと同時に、(藤原)ヒロシさんや(高木)完さん、ジョニオさんやNIGOさんにも憧れてましたね。
とにかく自分の人生を振り返ると、結局すべてがコスプレなんですよ。
あの人と同じ格好がしたい、という。だから独自でモノを作ってきた人とは感覚が少し違うのかもしれない。
中学生の頃に影響を受けたものが、今の自分のすべて
ファッションの情報は、雑誌から得ることも多かったです。
中学生の頃、「宝島」の別冊で女の子向けのファッション誌が出たんですよ。
そこにはGO-BANGʼSがヴィヴィアンを着て写っていたり、当時の僕にとってかなり衝撃的でした。
その後、「CUTiE」として創刊されたのですが、中でもKIDS COLLECTIONというスナップページは毎号むさぼるように見ていました。
いわゆる街で撮っているスナップではなく、SUPER LOVERSのパーティーや、LONDON NITE、さらには下北のCLUB251でやってたBILLYS WEEKENDERというコアなイベントに潜入したりして。
男の子も女の子も関係なく、オシャレな人がたくさん載っていたんですよ。
その中から気に入ったファッションをしている人を切り抜いて、部屋に貼ったりしてましたね。
あれに載るのが夢だったんだけど、結局載れなかった(笑)。
でも高校2年生の時に「Boon」には載ったことがあります。
ボンテージパンツを穿いて緑色の頭を立て、千葉でスナップされました(笑)。
あとは「CUTiE」でヒロシさんがやっていた連載“HFA”にも影響を受けました。
そこに登場したノースウェーブのスニーカー、履いてましたね。
並行して読んでいた「宝島」では、ヒロシさんと完さんの連載“Last Orgy”が、ジョニオさんとNIGOさんに代替わりしてからも、ずっと読んでました。
あの頃と今、自分の中で何か変わったかと言えば、実は全然変わっていないんです。
今でも好きなブランドはアンダーカバー、ネイバーフッド、ダイエットブッチャースリムスキン、最近だとブラックミーンズ。
どうやらパンクの血が流れているかが重要みたいです。
とはいえ懐古主義なわけではないので、新しい世代のデザイナーがたくさん出てくるのは大歓迎です。
フィンガリンやサイダーハウスは、新しい解釈で僕らが好きだったものを提示してくれるからすごく面白いよね。
そうやって新しいものは取り入れる半面、やっぱり昔好きで着ていた服もすごく大切で、シルエットが古臭くてもう着られないと思っても、捨てられないんですよ。
お金に困った時代にも絶対に売れなかったし、どんなにボロくても捨てられない。
だから倉庫まで借りて保管するハメになっているのだけれど、自分はそこから一生離れることはできないとも思っています。
それと同じように、自分たちの音楽も後生大事に持っていてもらえるようなものにしていきたいです。
今の流行でもあるファストファッションや断捨離なんかとは真逆ですけどね(笑)。
日本古来の考え方で、ものを100年大切に使うと魂が宿って妖怪になるっていう言い伝えがあるでしょう?
いわゆる付喪神ですね。その感覚に近いかもしれないです。
100年あっても飽きない、って思えるものしか買わないですし。
実際、若い頃に憧れていたものをひとつひとつ手に入れていくことで、ジョニオさんやNIGOさんたちにも会えたし。
僕は若かりし日の自分の夢を叶えるためだけに生きているんです。
最近の風潮として、洋服や音楽へ対する思いが、昔に比べて薄らいでいる気がするんですよね。
もちろん抗えない部分があるのもわかっています。
だけど僕は洋服も音楽も大好きだから、自分が頑張ることで少しでも多くの人が興味を持って向き合ってくれたらいいなと思っているんです。
やっぱり洋服やCDを買う時ってテンションが上がるし、それを着て出掛けたり、聴いた時には気分が高揚する。
これからもそんな気分にさせてくれる洋服と出会いたいし、自分の価値観を変えてくれるような洋服との出会いを期待しています。
僕らの音楽も、そういう存在になれるように、これからも情熱を注いでいこうと思います。
綾小路 翔
1997年に木更津で結成されたロックバンド、氣志團のDRAGON VOICE、MC、GUITAR。2001年にメジャーデビューを果たすと1stシングル「One Night Carnival」が空前の大ヒット。この春発売されたシングル「喧嘩上等」がロングヒットを続ける中、「氣志團万博2014〜房総大パニック!超激突!!」が9/13〜15に千葉県・袖ケ浦海浜公園で開催される。
http://www.kishidan.com
※2014年10月発行『i bought VOL.07』に掲載された記事です。
※価格・販売状況は掲載当時のものになります。