映画『DOWNTOWN 81』をラッパー5lackが綴る
VHS作品映画『DOWNTOWN 81』についてについて“物事の感じ方”についての想いも交えながら、ラッパーでトラックメイカーの5lack(スラック)が綴ってくださいました。
目次
5lack スラック (ラッパー/トラックメイカー)
PROFILE.
東京出身のラッパー、トラックメイカー。実兄であるPUNPEE、GAPPERからなるPSGや、ISSUGI、BudaMunkとで結成されたSick Teamなどでの活動など多岐にわたり、現在は東京、福岡を拠点とする。3月25日に発売されるニューアルバム「夢から覚め。」では、ほとんどの楽曲プロデュースを自身で務め、KILLER-BONGやOlive Oilとのコラボ楽曲も収録される
『DOWNTOWN 81』(VHS)
購入場所_PUNPEEがバイトしてたビデオ屋
購入価格_たしか¥105
購入時期_約9年前
”人の人生こそ映画だ”と 思わせられた ストリートスターの 純粋な感覚を物語る
『DOWNTOWN 81』について
「自由だと? 自由という意味も知らないのに」。
偉大な者の人生が偉大とはかぎりません。
そしてその人が有名ともかぎりません。
自由とは規則があるから存在するもので、光と陰のようなものです。
本当の自由とは、固定概念から解放されることのように思ったり思わなかったり……。
さてこの映画なのですが、そこそこのストリートスター(ジャン=ミシェル・バスキア演じるジャン)の漂うような本物のストーリー。
とらわれない。
バスキアもそのスタイルを持っていたのではないかと僕は思います。
自分自身も子どもの頃から絵が好きだったのですが、バスキアやKILLER–BONG、山田かまちのファンでした。
それとは別に友達にも天才だな、と思う人もいましたね。
現在では実際に認められ活躍している友人もいますが、そうでない人もいます。
これはいいのか悪いのかはわかりませんが、昔から僕は自分にとってのアイドルを見つけると、その人の作品よりも私生活、ライフスタイルが気になりました。
まあ、作品が良くなければ興味は持てないので素晴らしい実力者ではありましたが、何しろ天才の観点が気になったのです。
この映画はフィクションのようですが、その奥にREALが浮かびます。
バスキア自身ほぼバスキア役ですし。雲の上からクソッタレたストリートの現状まで知っている、そんなイケてる男です。
僕にとってのイケてる男というのは、偏りがなく正論の持ち主。
かつ破天荒でその生き様がスタイリッシュ、ファッショナブルな人……みたいな? うまく表現できているかわかりませんがそんな感じです。
さて、世の中では扱いやすい者だけが残っていく習性が強くなってきていますが、それは裏方の都合であって芸術面に関してはどんどん糞になってきているように感じます。
大多数や弱者に寄り添うのもいいことですが、本質が失われては世界へのアプローチがどんどんなくなり、猿真似ばかりでは裏方自体も財産が保てなくなります。甘い蜜を吸われるだけの才能は地下に逃げ込んでしまう。
そこがアンダーグラウンドですかね〜……。
現在の日本もあらゆるジャンルでインディペンデントレーベル(アーティスト本人による個人経営の会社)が増えてきていますが、それもこのような現象が原因なのではないかと僕は思います。
この世には社会とは別の生き方がいくつも存在します。
もしかしたら不安のない世界も存在するのかも。
何事にも備え、今その瞬間だけを生きる。
すると人生はたちまち冒険に変わり、あなたは映画の主人公になります。
面白そうですね。
長いかもしれないし短いかもしれない。
僕はこの映画を観て、人の人生こそ映画だなと感じました。
まだ誰も歩いてない道がたくさんあるのでしょう。
本編中、ジャンはひとりの女性にひと目惚れするのですがその恋は実らず、どこまで追い続けても捕まえられない。
勝手な解釈ですが欲望の表現なのだと思いました。
これは僕の考えなのですが、優越感には苦労が必要です。
楽に得た金では価値がわかりません。
ですから、苦労には価値があるんですね。
それを知らなければただ上にあがることしかできません。
あがればまだいい方で、あがれない人はただ嘆くしかありません。
「なぜ俺は……」
しかしその人にも出口はあるはずです。
その出口は上か下か右か左か、後ろか前か? 下だと思ってた道こそが上かもしれませんし。
たどり着いた理想の場所があなたの居場所ではないかもしれないし。
映画のラストでジャンは面白い決断を迫られます。
人生には自分が気づかないところで何度もチャンスが訪れている可能性があります。
それを不意にするも挑戦するのも自分の自由です。
時に人は人に順位をつけますよね? 人を上と下に分けることで出会いの判断力を鈍らせることがある、と僕は思います。
要するに重要なのは本質であって、ゴミ箱にある才能を見抜けない人間に高級料理の味などわかるわけがない。
よく、芸術や音楽に対して当たりハズレと言いますが、才能の持ち主が作るものに関して言えばハズレはないように僕は思います。
なぜなら、彼らは当て感ではなく「良い」という感覚を知っているからです。
なので、当て感で物事を見る視聴者には「良かった」などの情報がないと判断できないのです。
感じたままでいいのです。純粋な感覚、良心や道徳心に勝るものはないのかな? とも時々思います。
話が長くなりましたが、映画気になりますよね? お時間がある方はぜひ一度『DOWNTOWN 81』観てください。
一瞬ボブ・ディラン(?)が映ったり、オシャレですよ〜。
では。
※2015年03月発行『i bought VOL.09』に掲載された記事です。
※価格・販売状況は掲載当時のものになります。