GUCCI(グッチ)の歴代デザイナーと功績を紹介
世界的高級ブランドGUCCI(グッチ)。トム・フォード、アレッサンドラ・ファッキネッティ、ジョン・レイ、フリーダ・ジャンニーニ、そしてアレッサンドロ・ミケーレら歴代デザイナーとその功績を紹介。
目次
GUCCI (グッチ) とは
1921年 カバンと馬具の製造を手掛ける会社として設立。
1964年 銀座にて日本一号店をオープン。
1970年代 ウィメンズの既製服、香水を発表。
1981年 フィレンツェにて初のワンウェイショーを開催。
2004年 フランスのラグジュアリーブランドにおける大手企業Pinault Printemps Redoute(以下PPR、現:ケリング)により、グッチがグループ会社と化す。
2016年 2017年からウィメンズとメンズのファッションショー統合を発表。
創業者GUCCIO GUCCI(グッチオ・グッチ)
乗馬をモチーフに
創業1921年。乗馬からインスパイアされた皮革製品の製作が数年間の成功に繋がった。
第二次世界大戦における素材の代用品
戦中に生まれたキャンバス地
第二次世界大戦では皮革が統制品となったことで牛革が不足するが、代用品としてキャンバス地にコーティングを施した素材が人気を呼び寄せる。
戦後は竹素材も使用
大戦後では竹素材も代用品として使用され、シンプルなハンドバッグが生み出された。
現在となってはグッチの代表コレクションの一つとして「バンブー・コレクション」が存在している。
鞍の腹帯に由来するトレードマーク
1950年代にグッチは再び乗馬から着想を得て、鞍の腹帯に由来したトレードマーク「緑・赤・緑」の織物を発案。
2代目ALDO GUCCI(アルド・グッチ)によるグローバル展開
伝説的なGロゴの採用
1960年代半ばには二重のGロゴを採用したことで、シックなシンボルとなる。
海外への進出
1950年代でのミラノやニューヨーク展開を始め、ロンドンやバリ、ビバリーヒルズなどでもオープンする。
日本では1964年に銀座にて一号店をオープンした。
レディース向け既製服、香水のラインも
1970年代ではウィメンズの既製服や香水を創案。
GGのプリントシャツと毛皮をあしらったGGボタンのコートも生み出した。
TOM FORD(トム・フォード)がクリエイティブディレクターに就任
高級ブランドの返り咲き
1980年代にグッチ家における財産問題などのスキャンダルが発生したことにより、高級ブランドとしての地位が大幅に低下。倒産の危機に迫っていた。
1990年にレディースのデザイナーに就任していたトム・フォードは自身の才能を開花させ、1994年にクリエイティブディレクターに就任する。
グッチならではの伝統をしっかりと引き継ぎながらも、時代に合った製品を次々と生産。
1995年のミラノコレクションでは大成功をおさめたことで、VOGUE最高国際デザイナーなどの数多くの賞を受賞した。
メタリックな装飾がついたシルクカットアウトのジャージードレスは、たちまちグッチのアイコンとして知られていった。
2004年、グッチがフランスの大手ラグジュアリーグループPPR社(現ケリング)に買収されたことを機に、クリエイティブディレクターを辞任する。
トム・フォードとは
1961年8月27日生まれ、アメリカ出身
ニューヨーク大学で美術史を専攻したのち、パーソンズ・ニュー・スクール・フォー・デザインで建築を学ぶ。
ファッション業界で働くことを決意したトムは1988年にPERRY ELLIS(ペリー・エリス)のデザインディレクターに就任。
1990年にグッチのレディース・デザイナーを、1994年から2004年にかけて同ブランドのクリエイティブディレクターを務めたのち、2005年に自身の名前を冠したブランドを設立。
2001年にグッチがYves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)を買収したことにより、サンローランのデザイナーも兼任した経歴も持つ。
映画『007』シリーズの『慰めの報酬』(2008年)や『スカイフォール』(2012年)で作中の主人公/ジェームズ・ボンドが着るスーツの衣装製作を手掛けた。
三人のデザイナー
レディース: ALESSANDRA FACCHINETTI(アレッサンドラ・ファッキネッティ)
2000年にデザインディレクターとしてトム・フォードの右腕となる。
2004年にフォードがグッチを去った後はレディースのクリエイティブディレクターに就任したが、方針の相違を理由に2シーズンで退任した。
メンズ: JOHN RAY(ジョン・レイ)
2004年から2006年の間、メンズウェアのクリエイティブディレクターを務めた。
レザー・アクセサリー: FRIDA GIANNINI(フリーダ・ジャンニーニ)
2004年にレザーやアクセサリーを担当した後、2005年にはレディースを、2006年にはメンズも手掛けることで全ラインのクリエイティブディレクターとなった。
フリーダ・ジャンニーニがクリエイティブディレクターに就任
フリーダ・ジャンニーニとは
1972年生まれ、イタリア・ローマ出身
PRADA(プラダ)でレザーデザインを担当したのち、2002年にグッチのハンドバッグデザインのディレクターとして入社。
グッチのトータル・クリエイティブディレクターは2006年から2015年まで務めた。
フリーダ・ジャンニーニによる情熱的な貢献
レディース向け香水「Gucci by GUCCI(グッチ・バイ・グッチ)」の発表
2008年、グッチ初の女性用香水「Gucci by GUCCI(グッチ・バイ・グッチ)」をプロデュース。
中国初のファッションショーを開催
2012年4月21日、上海にて中国初のファッションショーを開催。
中国の女優李冰冰(リー・ビンビン)を起用した新しい広告キャンペーンを発表した。
2012AWのメンズ・ウィメンズコレクションを先行発表。
ファッションショーを行った後、一夜限りのプライベートパーティ「GUCCI CLUB」を開催。
グッチは1996年に中国へ進出し、2004年末には本土で4店舗のみの展開だったが、2011年末には32都市中46店の直営店を展開していった。
ブランド初カラーコスメの発表
フリーダ・ジャンニーニは2014年9月にブランド初のカラーコスメを発表している。日本では未だに販売されていないことから国内での取り扱いを望む声が止まない。
東日本大震災の被災地・仙台への訪問
2014年10月26日、フリーダは東日本大震災の被災地・仙台を訪問。
被災地で暮らしていた小学生及び中学生に対し、返還不要の奨学金を給付する制度「ユネスコ協会就学支援奨学金」の支援を行ってきた。
2014年7月時点で、2000人もの子供たちに給付。被災地の高校生96人はGUCCI奨学生としての支援を受けた。
イタリアから来日したグッチの職人による指導の元、ミニサイズの革のトートバッグ製作を通じて高校1~2年生との交流を深めた。
後任はALESSANDRO MICHELE(アレッサンドロ・ミケーレ)へ
アレッサンドロ・ミケーレのプロフィール
1973年生まれ、ローマ出身
ローマのファッションアカデミーを卒業後、FENDI(フェンディ)のシニア・アクセサリーデザイナーを担当。
自身の才能がトム・フォードに一目置かれたことで、2002年にグッチに入社。
2006年にはレザーのデザインディレクターを担当していたが、2011年5月にはフリーダに次いでアソシエイト・クリエイティブディレクターに就任した。
2014年9月からは、グッチの傘下であるイタリアの高級陶磁器ブランド「RICHARD GINORI(リチャード・ジノリ)」のクリエイティブディレクターも兼任している。
2015AWコレクションでデビュー
初のコレクションは2015AWウィメンズにて発表された。中世的な折衷主義が魅せるコレクションとなった。
フォードが築き上げた強烈さと、フリーダが生み出したフェミニンを中和させたジェンダーレスなコレクションを発表。
ギークでありながらロシアな雰囲気を取り入れている。
ミケーレの姿勢からは、落ち着きを保ちながらも反骨的な精神が垣間見える。
新生「GG」ロゴ
ミケーレが提案した「GG」ロゴは、マットでありながらクラシックさを忘れないデザイン。
2016SS ミラノ・コレクション
キーワードは「シチュアシオニスト」。1950年代から70年代、大量消費や都市計画への反発を根源とするヨーロッパでの思想。
フォード就任時から使用してきたオベルダン広場の劇場を離れ、殺風景なスペースに発表の場を移す。
ショー終了後のバックステージは、モデルが撮影に気軽に応じるほどの緩やかな雰囲気に包まれた。
グッチ・ガーデン
2016年3月上旬から4月6日までの間、銀座のファッションコンセプトストア「ドーバー・ストリート・マーケット・ギンザ」1階イベントスペースにて「グッチ・ガーデン」が開催された。
コレクションに登場した動植物のモチーフを数多く展示。
1966年から受け継がれるプリント柄「フローラ」の継承として、バタフライや蜂、鳥、スネークなどのモチーフに焦点を当てている。
エレファントのオブジェも展示されていたことから、ミケーレによる空想の世界が展開された。
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